クソ蟲の嘯き

愚痴と語りと備忘録

『普通』ってなんなんだろな 1


「普通の人はこれぐらい出来るでしょ?」



大抵の人は使ったことがあると思う、「普通は〜」という決まり文句。


僕はかねてから「普通は」という言葉に対して、疑問、ある種のひねくれた印象を持っていた。


普通、という言葉の示すものの意味について、このNoteを見て久々に考えさせられることとなった。



記事の内容については別段取るに足らない愚痴のような内容だ。


何が言いたいのかも何が伝えたいのかもよく分からない、Twitterでもよく見かけるようなありふれたもの。


ただこのNoteに関して言うならば、普通の男という言葉に妙な違和感を覚えた。


普通って何だ…?と。


このNoteの内容


ここでこの記事の筆者が列挙している「普通の男」とされる人が満たしている条件は。

  • 清潔感がある
  • 挨拶やお礼がちゃんとできる
  • 常識があり、人の目が気になるようなことはしない
  • 素直である
  • 人に気が使える
  • 計画性があり、全体のことを考えられる
  • 男尊女卑ではない
  • 話し合いが出来る
  • 尊敬出来るところがある
  • コンプレックスが強くない
  • 金銭感覚が合う

この記事に挙げられている「普通の男」が満たしているべき条件を全て並べてみました。


この条件自体、確かに人として、満たしている数が多ければ多いほどいいなと思います。


ですがこの記事の場合、これを満たして初めて「普通」らしいです。

普通のハードル高すぎない!?

清潔感がある、挨拶がちゃんとできる、常識がある。


この3つは、人としてまず出来ているべき事だと思います。


自分も最近結構気をつけなきゃな…と意識している事で、特に挨拶に関しては本当に今だに苦手なので耳が痛いところです。



ですが

素直である、人に気が使える、計画性がある。


これについては、そもそもこの記事の筆者や、「普通の男がいない!」と嘆く女性はちゃんと満たしているのだろうか?


素直であるということは、人に気が使える の欄で触れられている

聞いて行動するだけなら機械でもできる、話してなくても少しは理解と推測をして提案をしろ。

のような、自分が思ってることを理解して欲しい、わざわざ言いたくない。という思考と背反する内容だと思います。


また、これはその後に挙げられている会話がちゃんと出来る、にも反します。


だって自分から伝えることを放棄して相手の察しを期待しているのだから…

男性との会話になると、ちゃんと話せる男性は

・話を聞く
・分からないところは質問する
・相槌や意見を言う

これらができている。

しかし、そもそも話がうまくできないし、コミュ障な割に自分の話ばかりしたがる人がいるが逆効果だ。

これにあるように、分からないことは質問する。を、会話ができる男性の特徴に挙げながら、前述の文でそれを否定してしまっている。

このNoteの筆者さん自分で書いてて気づかなかったのかなこれ…

この筆者は、かなり言い方をマイルドに抑えていますが、つまるところ

旦那さんの愚痴をTwitterで書き連ねて、それに共感されて気持ちよくなってしまうタイプの主婦の方が口を揃えて連呼する

「1から10まで言わせんな!私の考えてることを言わなくても理解しろ!」

という主張と同じなんですよね。このNoteではその表現がマイルドになってるだけで


根本的には、相手に察する能力を要求してることになります。


そして、この察する能力も、男性にはあって普通の事なようです。


ひとつ言いたいのが、相手に自分の気持ちを察することを要求する人間

100パーセントこちら側の気持ちなんて理解してくれない。


結局人間完璧ではないので、他人の気持ちや考えを理解することなんて不確実で難しいものなんですよ。


僕が今まで出会ってきた、私の気持ちをわかってくれない、と言ってきた人間が、逆に僕の気持ちを理解してくれていたことなんて1度もないです。


つまるところ、このような要求をする人は、逆に自分にそれが出来ていないということの証左になっているんじゃないかな、と思う。


また、この方の挙げられている

男尊女卑ではない


について、これは当たり前の事だなと同感に思います。


しかしながら、この記事において、男性ならリードすべき、器は大きくあるべき、飯代くらい多めに払うべき。という事が書かれている時点で、この方の要求するものは男女平等ではなく、女尊男卑的なものなのかな…と


結局は相手を慮る事もなく、ただひたすら自分のして欲しいことばかりを相手に要求したら、そりゃ当然反感を買います。


「普通の男がいない!」と言っていた女の人や、この筆者のような傲慢な方は、そもそも「普通の男」なら願い下げだと思います。
いないんじゃなくて、自分から離れてるだけなんじゃないかなあ、と


この記事では最後に

ちゃんと相手のことを見て行動できる思いやりや、協調性が大事なのではないかと思う。


と締めくくられています。


自分の気持ちを察してくれと言う人間は、他者に対する思いやりも、協調性の欠片も無いです。


まあよくこの内容でこの一言を言えたものだな、という印象を抱きました。


散々この記事をこき下ろしましたが、コンプレックスの肥大化の過程とか、男の心理の分析に関しては鋭いなと思ったし、記事の内容にある、「普通の男」が満たすべき条件自体は、決して満たして「普通」ではないけど、他人や異性に好かれたいという人は是非とも実践すべきことだと思いました。



とても話は脱線したのですが、僕がこのNoteを槍玉にあげて何が言いたかったかというと

自分の思っている普通は、決して普通ではない。

結局ただの個人的な尺度に過ぎず、それを他人に強要するのはお門違いだ。


ということです。



まだ続きます。



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